月よ夢よ

親愛なるあなたへのお手紙として

天使との会話、1

 

 

 天使のようにしなやかな強さをもつ友人と、恋愛についてお話したおり、彼女から「いまわたしにかけてくれた言葉を文章にしてまとめたほうがいい」とすすめていただいたので、なるべくかたちを崩さないまま、ここに記しておこうと思います。

 

 

 恋をしている相手をとても大切なひとだと思うなら、それに呼応してわたしもあなたも自分自身を育み、「ひとりで立つ」ことを努力していかなければいけないね。お互いに「独」りで「立」つことができなければ、一緒に歩いてゆくのはむつかしい。どちらかがどちらかに寄りかかり、おのれの全身をあずけゆだねてしまう恋に祝福はない。少なくともわたしはそう思う。


 たとえばひとりの人間は一艘の舟のようだなと、わたしは考えている。

 

  自分という舟を人生のなかでどう漕いでゆくかは自分で決めることで、誰にもそれをあずけたりゆだねたり、してはいけない。ひとりで立たなければならないって。それはどんな人間であれ。

 好きなひとの「舟」がわたしの隣りを航海してくれていたら、それはもちろんとても嬉しく、わたしもそれを望んでいるけれども、お互いの「舟」という空間は守らなければ、永く遠く一緒にいることはできないのではないかしら。

 

 どちらかがどちらかの舟に乗りこみ、自分の舟が「辿りつく場所」をゆだねてしまったり、相手の「櫂」を勝手に奪ったりすることは、どちらのためにもならない。


 「独立」とは「ひとりでたつこと」だけれど、それにはまず、精神的なものが、とてもおおきい。「一緒にいたいけど、一緒にいられなくても生きていける」という前提がないと、恋愛はむつかしいような気が、わたしにはするの。成熟した恋愛はね。

 

 たとえばお菓子と麦酒のことを、シェイクスピアが「人生を楽しくするものだ」といった。


 それは、「なくても生きていけるけれど、それがない人生など味気なく、心から滋養が失われてしまう。あってくれれば嬉しいし楽しい。嗜好品が美しいのはそのためだ」ということだと思うの。恋も嗜好品と似ているね。


 だから賞味期限があることを忘れてはいけない。どのようなかたちであれ、別れがある。なにも腐ったり、地に落ちたりせずとも、恋の実はいつかまた、つぎの「種」を宿すために消失する。だから「おいしい」と思える果実を食べて、自分の滋養としなくては。

 

 「おいしい」にもさまざまにあるよね。甘いもの、舌のうえに刺激をもたらすもの、胃にやさしいもの。そしてほんとうにおのれにとっておいしいものを「おいしい」と思えるかは、自分自身にかかっている。

 

 それには「恋」にばかり心を傾けてしまうとなかなかむつかしいものがあって、「恋が自分のすべて」であるうちは、そのひとは自分自身を見失っている。しあわせな恋をするためには、まず自分がなにを食べて「おいしい」と思えるか知らなくてはいけない。だから自分という人間を知り、育み、磨いていくしかないんじゃないかと思うの。


 恋の相手以外にも「好きなこと」をたくさん増やし、相手と逢えない時間も楽しめるような自分でないと、なかなか自立した関係というのはむつかしいのではないかと、わたしは感じる。自分の「好きなもの」をたくさんもっていて、それを「楽しむ」ことを知っていて、そして自分を抱きしめる喜びを知ることのできる感受性をおのれのなかで育まないことには、恋は成熟しないのではないかって。

 

 あくまでもわたしの意見として。