月よ夢よ

親愛なるあなたへのお手紙として

お妃さまの鏡

 

 

 劣等感というものについて、考えている真夜中です。「自分が他者より劣っているのだ」という意識は、自分の姿を他者という鏡をとおして見つめたさきにある飢餓感と思いこみであり、だからそれはおのれの問題であって、自身でどうにかするしかないものです。

 

 妬み、という感情は、「ほんとうはわたしがあたえられるはずだったもの」と勝手に思っていたものが、他者のものとなったときに芽生えるものだとしたら、ジェラシーも、そして「奪われるかもしれない」という怖れも、やはり自分自身の問題でしかありません。他者とは鏡なのです。かがみよ、かがみ、せかいでいちばんうつくしいのはだあれ? あのお妃さまの魔法の鏡も、そのようなものです。彼女が鏡に「確認」せずにいられないのは、彼女はおのれが「世界でいちばん」「美しい」ことを、自分自身に信じることも、認めることもできないからです。

 

 そのためあの魔法の鏡に「それはお妃さま、あなたです」と証明してもらわないことには、自らの渇きをどうすることもできない。彼女は満たされておらず、そのため幸福ではない。そしておそらくは、自分にとって「なにが幸福なのか」も知らないひとで、だから「美しさ」に固執し、それを脅かされることを怖れています。「美しさ」が損なわれたら自分のなかの「水」はからっぽになってしまう。そのことは彼女もわかっていて、しかし「世界でいちばん美しい」ことが「世界でいちばん幸せ」であるとはかぎらないことには気づいていない。

 

 そもそも個々の幸せに「いちばん」などないことを思えば、順位をつけずにはいられないこと、すなわち「他者と自分を比較せずにはいられないこと」が、彼女の不幸のはじまりだと思うし、不幸とはそれがどのようなものでも、自分の指紋がついています。他者と較べ、「自分がより幸福でありたい」という気持ちは、渇きから生まれ、そしてますます飢餓を生むだけであるのに。

 

 わたしがわたしになること、あなたがあなたになること。そしておのれを満たし、癒すこと。

 

 それがなによりも大切なことだと、わたしは思うのです。自分自身とは一生のあいだ、つきあってゆくのですから。

 

 うつくしい城に棲み、「あなたは美しい」と囁く鏡があって、うつくしいものに囲まれていても、それを享受できなければ、「美しい」とはいえない。それは優劣ではなく、自分を抱きしめる喜びを知っている感受性によってもたらされるものだからです。少なくともわたしはそう思います。